Jun 13, 2009

新入社員時の従業員研修

私が大学を卒業してすぐに入社した会社では入社すぐに職員研修をしています。 2日間、都内の研修室のようなところが貸切になって、朝早くから夜遅くまでの従業員の研修をしました。社会に出てからのマナーや営業業務の方法など、シミュレーションの種類を混ぜて、色々と学ぶことができた。非常に参考にされています。
小学生のランドセル、今の大きさは、一般的な使用クリアファイルA4サイズである。昔は、B5が主流でしたが、今はA4。クリアファイルも改良されてプリントをそのまま挿入するとして落ちないようになっている。使い勝手もきちんと考えられている。一般的に使用するクリアファイルは、昔とは違う。快適になって、古いファイルは、使いにくいのだ。
 ■「ようやく震災と向き合える」

 新たに25人の銘板が加わった阪神大震災の犠牲者の名を刻む「慰霊と復興のモニュメント」(神戸市中央区)。モニュメントのある東遊園地を訪れた遺族らは犠牲者に思いをはせ、「これからは冷静に震災と向き合える」「みんなが来やすい場所でいつでも会える」と語った。19日、「銘板追加のつどい」に出席した遺族らは、それぞれの震災を振り返った。

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 姫路市の無職、眞田嘉子さん(62)は震災で亡くなった妹の井上恵美子さん=当時(40)=の名前を刻んだ銘板を掲げた。

 西宮市に住んでいた井上さんはチェロをたしなみ、将来は民族楽器のシタールを学ぶためインドへ行くのが夢だった。震災1年前に書き残した手紙には「45歳 語学も始めよう(中略)56〜60歳 渡印 自己投資をしよう」と人生の目標が書かれていた。

 眞田さんは「ようやく心落ち着く場所ができた。前を向いて生きていくように妹に背中を押された気がした」とほほえんだ。

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 震災のショックで衰弱、平成7年6月に死去した母親、高市登美さん=当時(67)=の銘板を張った西宮市の会社員、高市正次さん(57)は「ようやく震災と冷静に向き合えそうだ」と静かに語った。

 もともと病気がちだった登美さんは震災で体調を崩し、そのまま帰らぬ人となった。正次さんは、これまで震災関連の報道を避けるなど「震災は直視できない心の重いものだった」と振り返る。震災から間もなく16年、母親の銘板を掲げることで気持ちの整理もついたという。

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 神戸市垂水区の会社員、吉田弘行さん(68)は震災で失った妻の陽子さん=当時(49)=の名前を加えた。腎臓を患っていた陽子さんは同市須磨区の病院で被災。病院が機能停止したため人工透析を受けられず容体が悪化。2カ月後の3月に亡くなったという。これまで震災が直接の死因ではないと思って銘板はあきらめていたが、陽子さんの友人らが訪れることができるように掲示を申請した。息子夫婦と孫と銘板を張り、「子供も立派に家族を持ち、みんな元気にやっているよ」と報告した。

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 曾祖母の大西とくゑさん=当時(82)=を亡くした神戸市西区の高校2年生、崎村菜月さん(17)は、祖母の平本智子さん(63)と東遊園地を訪れた。大西さんは震災で同市灘区の自宅が全焼し、仮設住宅暮らしで体調を崩し、翌年にかぜをこじらせて死亡した。初めてのひ孫で当時1歳だった崎村さんをかわいがっていたという。

 「ひいおばあちゃんの思い出を大切にしたい」。曾祖母の名前が刻まれた銘板に触れる崎村さんを見て、平本さんは「菜月はこんなに大きくなった。銘板を納めることが母(とくゑさん)への最後の親孝行」とほほえんだ。

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 震災翌年の8年11月に亡くなった父の木下博義さん=当時(64)=の銘板を掲示した神戸市須磨区のパート従業員、森田和子さん(37)。博義さんは震災の1年前に直腸がんを宣告され、闘病生活中に被災した。仮設住宅での生活のストレスから病状が悪化していた。震災後に森田さんの長男、涼介君(15)が誕生したのを何より喜んでくれたが、涼介君の1歳の誕生日に死去した。森田さんは「すっかり涼介も成長し、家族みんなで幸せに過ごしているよ」と報告。張り付けた銘板を見ながら「父が犠牲になったことがようやく認められたような気がする」と話した。

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 神戸市中央区のスナック経営、堀江弘子さん(48)は震災後に持病の治療薬が手に入らず、病状が悪化して亡くなった祖母の杉山サカリさん=当時(89)=の名を刻み、「来年もここへ来たい」と笑顔を見せた。

 糖尿病などを患っていた杉山さんは被災後、病院のカルテが紛失、薬の処方ができずに辛い日々を過ごしたという。震災から10カ月後に脳梗塞で亡くなった。

 祖母の死は、震災との因果関係を認めてもらえなかったが、銘板に名前が加わったことで「もやもやした気持ちや祖母への申し訳ない気持ちがあったが今日を迎えられてよかった」と話していた。

 慰霊と復興のモニュメント 神戸市役所南側の東遊園地にある施設で、平成12年1月に完成。阪神大震災の犠牲者の名前を刻んだ銘板が壁面に並べられている。当初は神戸市内で死亡した人が対象だったが、15年12月からは市外の犠牲者や震災が遠因で死亡した人の名前も遺族の希望に応じて加えてきた。毎年、運営委員会が、遺族らから新たに掲示を要望してきた人の震災との関連などを判断して銘板を加える
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